心臓手術後の集中治療室ではよくこの言葉を耳にします。
心臓血管外科の周術期は一滴一滴の尿の流出を眺め多くのモニターを観察しつつ多岐にわたる事柄を注意しながら患者様の全身管理を24時間に渡って連日行っています。
そうした中、患者様は自らの生命力で麻酔から覚め自発的に呼吸をし人工呼吸器から離脱します。強心剤を持続的に投与されながらも賢明にリハビリすることにより集中治療室から一般病床へ移っていきます。そして退院となり社会に復帰します。
しかし、稀に重症の患者様では強心剤投与下でも血圧が保てない、利尿剤を注射しても尿量が確保できず人工透析を行う、頻繁な不整脈があり夜通しベッドサイドで医師が電気ショックを構えるなど生死の境を彷徨う場合があります。
こういった状況の時に疲労しきった外科医は『医師があきらめたときは患者が死ぬとき』と自分を励ましたり後輩を元気づけたりしてとにかく最後まであきらめず患者様の回復を待ちます。
その結果、血圧は徐々に回復し、尿量も増加、不整脈も鎮静するなどして人工呼吸器から離脱できるようになります。
その後、多少時間はかかりますが通常の患者様同様に退院となり社会に復帰されます。
このような重症の患者様が退院されたときに外科医としての喜びは言葉には言い表せません。
私が平成14年に在宅医療と出会って15年が経とうとしています。
当初は『自分が手術した患者様を在宅でもフォローできたら医者冥利に尽きるなあ。』なんて考えていました。それがいつの間にか在宅医療の虜となり平成18年より在宅専門で開業する運びとなりました。
私と生死の境を彷徨った患者様に一日でも長生きして頂きたいと考えるようになったからです。
昨今の医療費抑制政策の影響による病床削減の結果、行き場を失った患者様が多く出ました。
そして、平成20年4月1日より開始された後期高齢者医療制度では医療の質の制限とまで囁かれています。一部報道によると在宅は終末期・看取りだの死を意識したものが多く見受けられます。
そうした情報下において、厚生労働省は後期高齢者には訪問看護等を含めた在宅医療でフォローしていく方針を立てています。
しかし、私が目指している在宅医療は入院医療に準じたものであり
『一日でも長く長生きしてもらいたい、患者様やその家族が望む医療であれば可能な限りかなえてあげたい。』
というものです。言い換えれば『生(せい)』にこだわった在宅医療です。
今回、後期高齢者と呼ばれるようになってしまった皆様も含めて、私たちが関わることが出来る全ての方に伝えたい。『長生きして下さい。』私たちも精一杯頑張ります。